――ガチャリ。
本日。
あたしの戦いは、こんな音でスタートする。
たたたっ……
だだだっ……
玄関に勢いよく向かう複数の足音。
そして。
「パパ!お帰りなさい!」
とびきり元気な声とともに、黒い鞄を受け取ったのはあたしの小さなライバル。
「ううっ……また負けた……」
あたしはがっくりと廊下に膝をついてしまう。
「ただいま、琴美。まだ起きてたんだな」
「うん!もうすぐ帰るってメールくれたから、お願いして起きてたの!」
そんなあたしの様子を他所に、たった今帰ってきた入江くんとみーちゃん――琴美は楽しそうに話をしている。
うっ……悔しいーっ!
仕事から帰った旦那様の鞄を受け取るのなんて、妻の役目に決まってるのにっ!
座り込んで悔しがっていると、ふと、みーちゃんがこっちを見た。
あたしと目が合った途端。
――にやり。
そんな表現がぴったりな笑みが、その顔に浮かんだ。
なっ……
なんて顔で母親を見るのよっ!幼稚園児のくせにっ!
全く……顔はあたしによく似てるって言われるのに、こんなところは絶対入江くんに似たのねっ。
「パパ聞いて~。今日みーちゃんねぇ、幼稚園で先生にほめられたんだよー」
あたしの視線をものともせず、みーちゃんは鞄を持ったまま、リビングに向かう入江くんの後について行ってしまう。
ホントに、この間まではあんな赤ちゃんだったのに、子供の成長って早いわ……
あたしは思わずため息をついてしまった。
――最近。
朝は、出かける入江くんに靴べらを渡すこと。
こうしてみーちゃんがまだ起きている時間に帰って来る時は、鞄を受け取ること。
そんな“パパのお世話”をどちらがするか、あたしとみーちゃんの間では激しい争奪戦が繰り広げられていたりする。
みーちゃんは入江くんに似て、足も速いし運動神経もいい。何より、パパが大好き。小さいからといって、侮れないライバルなのだ。
「えーっ、パパ、明日お休みなの!?」
あたしが遅れてリビングに入っていくと、みーちゃんが嬉しそうに叫んでいた。
「ああ。明日は1日休み。琴美も幼稚園お休みだったな」
…そーいえば入江くん、一応明日は、前から休みってことになっていたんだけど、そこはお医者さんというお仕事。みーちゃんに言っておいて、もしダメになったらがっかりさせちゃうから、黙っていたんだよね。
「じゃあねー、みーちゃん、ディズニーランド行きたい!」
「ディズニーランド?」
目を輝かせながら言うみーちゃんに、入江くんが聞き返す。
「うん!あのね、おんなじクラスのアカリちゃんが、この間行ってきて、すっごく楽しかったんだって。みーちゃんも行きたいの」
「だ、ダメよみーちゃん!」
あたしは思わず叫んでいた。
「明日はママ、お仕事なの。だから、明日は行けないよ!」
そう。入江くんは休みでも、明日はあたしは日勤で仕事。ディズニーランドなんてとても無理だ。
でも、みーちゃんは不満そうにぷうっと頬を膨らませた。
「えーっ、みーちゃん明日行きたいもん!だったらみーちゃん、パパと二人で行く!」
「えーっ!?何言ってんのみーちゃん!」
「うん、みーちゃん明日はパパとディズニーランドでデートする!」
自分の思い付きに、みーちゃんはにっこり笑った。
入江くんとデートって…
あたしだって、入江くんと二人でまともなデートするまで、すっごい時間かかったのに!
最近に至っては、シフトのすれ違いで休みが合わないし、二人で過ごす時間なんて全然ない。当然ながら、二人でデートなんてできるわけがなく…。
それを、こうもあっさりと……
しかもしかも、ディズニーランドなんて……
そんなの、あたしも行きたいに決まってるじゃないのっ!
「ねっ、みーちゃん!パパ、最近ずっとお仕事で疲れてるから、明日ディズニーランドはやめようよ。混んでるし、ちょっと遠いし」
「えーっ」
「…俺は別にいいけど」
あっさりと、入江くんがそんなことを言い出した。
「こんなに行きたがってるし。俺はそこまで疲れてないしさ」
「でっでも」
「わーい!パパ、大好きっ!」
思わず言葉に詰まるあたしを尻目に、みーちゃんは飛び上がって喜び、入江くんに抱きついた。
「ほら、それならもう寝ないとな。いつもなら、もうとっくに寝てる時間だろ?」
「うん!じゃあ、パパと一緒に寝る~」
みーちゃんが甘えるように入江くんにすり寄った。
うう…そこはあたしのポジションのはずなのにっ!みーちゃん、すっかり自分のものにしてるじゃないのっ。
「みーちゃん……パパは今帰ってきたばっかりなんだよ。一緒には寝れないでしょう」
そう。
ただでさえ、いつも寝る時間からはだいぶ時間が経ってるし。
それに今日、入江くんがいつもより早く帰ってくるってメールをくれたから、今日は久々に二人っきりでゆっくりできるかな…なんてこっそり思ってたりしたんだけど…
「…しょーがないな」
入江くんが、ため息をつきながら言った。
「じゃあ、琴美が眠るまでそばにいてやるよ」
「なっ…入江くん、だって今帰ってきたばっかりなのに」
「ほら、行こうか」
口を挟んだあたしの言うことなんか聞こえないみたいに、入江くんはみーちゃんを連れて寝室に向かっていった――。
***
「へぇ、それじゃ今頃入江先生、琴美ちゃんとディズニーランドでデートしてるってわけ」
――翌日、職員食堂。
あたしと同じく日勤のモトちゃんがお茶を飲みながら言った。
「でも意外ねぇ、あの入江先生がディズニーランドなんて。絶対行きそうにないのに、やっぱり一人娘にせがまれると違うのねー」
感心したように言うのは向かいに座る真里奈。
「そうよねー、琴子がせがんでもディズニーランドには行かなそうよね」
「なっ、何言ってんのよ!」
もうっ、モトちゃん失礼過ぎだわっ。
でも、モトちゃんはそんなあたしの抗議が聞こえなかったようで。
「しかし素敵よねー、イケメンな上に子煩悩なんて。理想だわ」
「そーねー。そーゆーギャップってちょっとイイわよね」
なんて、真里奈と頷き合ってる。
「皆好きなことばっか言って…」
あたしはついつい唇を尖らせてしまう。
「入江くんとディズニーランドなんて……みーちゃんが生まれる前までは考えられなかったのに。みーちゃんがちょっと言っただけであっさり行くなんて」
そう。あたしなんて、今までデートに行くのだって、交換条件を出したり、さんざんおねだりしたりしてやっと実現したっていうのに。ほんっと、みーちゃんには甘いのよね。
それに真里奈の言う通り、入江くん、ディズニーランドなんて絶対行かなそうだよね。今回は、すっごい貴重な機会でもあるわけで。
なのに、あたしだけ仕事で置いてきぼりなんて!
あーあ、ディズニーランドなんて何年も前に理美とじんこと3人で行って以来、行ってないよ。行きたかったなあ…
それに、昨日はディズニーランド行きが決まって興奮したのか、みーちゃんがなかなか寝付いてくれなかった。
しっかり入江くんの腕の中で甘えちゃって、ずっと喋り通し。
結局、入江くんと二人の時間も持てなかったんだよね…
ううう、あたしだって、入江くんに話したいことなんていーっぱいあるのにっ!
「ま、しょーがないわよ。小さいうちは女の子はパパ大好きなもんだし」
「っていうか、あんなカッコいいパパだったらべったりになるのも無理ないわよね」
「あんたもママなんだから、娘に焼きもち焼くの、やめなさいよね」
またも勝手なことを言ってる看護科同期たち。
「や、焼きもちなんかじゃないわよっ!ただ、ちょっとだけ羨ましいっていうか」
そ、そうよ。
みーちゃんに焼きもちなんて焼いてないわよ。
ただ、もうちょっと、入江くんと二人でいる時間が持ちたいだけなのよぉっ!
「やっぱり焼きもちじゃないのよ……」
真里奈がため息をついている。
「そんなことより、あんた午後から手術の介助じゃなかった?そろそろ行かなくていいの?」
「え…あっ!もうこんな時間!?」
あたしはがたっと立ち上がった。
や、やばいわ。急がないと。
うう…
今頃みーちゃんと入江くんは二人で楽しくディズニーランドでデートしてるっていうのに、あたしはまだまだ仕事。しかも苦手な手術の介助だし。
ああ、早く終わらないかなーっ!
***
やっと、仕事が終わった……
何だか今日は妙に忙しかったわ…おまけに師長からはお小言もらうし。
あぁ、疲れたあ…
あたしはのろのろと着替えをし、重い体を引き摺るようにしてロッカールームを出た。
あーあ…もう夕方だあ…入江くんとみーちゃん、今頃何してるかなあ…
この時間だと、まだ乗り物に乗ったりしてるかな…もうしばらくしたらパレードが始まるよね…
ああ、あたしも入江くんと見たかったなあ……
あたしはもう今日何度目かわからないため息をつきながらエレベーターに乗り、1階に降りた。廊下を抜け、職員用の通用口を開けて……思わず立ち止まる。
「ママ!」
通用口のすぐ外に立って、そうあたしに声をかけたのは、みーちゃんだった。
後ろには入江くんもいる。
「えっ……な、何で二人とも、ここに…?」
「ママー!お疲れ様っ」
訳がわからず、目を白黒させているあたしに、ばふ、とみーちゃんが抱きついてきた。
「やっぱりみーちゃん、ディズニーランドはママとも行きたいの。だから待ってたんだよ」
みーちゃんがにこにこ笑いながら、あたしを見上げてくる。
「みーちゃん…」
その笑顔がすっごく可愛くて、あたしは思わずひしっと抱き締めてしまう。
「でも、本当によかったの?あんなに楽しみにしてたのに行かなくて」
あたしは一度体を離し、みーちゃんの顔を見た。
そうよ。昨日の夜、なかなか眠れないくらいに楽しみにしていたのに。
「行かないとは言ってないだろ」
こちらに歩み寄ってきた入江くんが初めて口を開いた。
その顔は、柔らかく笑っていて…どこか、優しい。
「えっ、でもこんな時間だし」
「まだ開いてるだろ。夕方から入れるチケットだってあるし」
「じ、じゃあ」
「ねっ、ママも行こうよ!みーちゃん、3人で行きたい!」
みーちゃんがあたしの腕に抱きつく。
「急げばパレードにも間に合うだろ」
入江くんがあたしの頭にぽんと手を置いた。
「ほら、急ごうぜ」
***
「…あ、見てみてみーちゃん、あれがシンデレラ城だよ!」
「わあっ、すごーい!きれーい!」
久しぶりに来た夢の国は、相変わらず日常から抜け出して来たようにキラキラしていた。
みーちゃんは初めて来た世界にすっかり夢中になっている。
着いた時にはもう日が暮れる寸前だったけど、ライトアップされた建物がすごく幻想的で。
あたし達は、すっかりこの世界に溶け込んでいた――
園内をファンファーレが鳴り響く。
続いてお馴染みの音楽が流れ、パレードが始まった。
何とか最前列のスペースを確保できたあたし達。みーちゃんは、お日様が沈んで訪れた暗闇の中、輝く光の競演に目を輝かせている。あたしも、久しぶりに見るこの風景に、すっかり興奮していた。
「ねっねっ、ほら入江くん!シンデレラと王子様!」
「でも、あの王子様だったらパパの方がカッコいいね!」
「うん!もちろん!」
「ったく…お前も子供みたいだな」
うんうんと頷くあたしに、入江くんが呆れたように苦笑する。
「やっぱり、ママも来てよかった」
そんな入江くんをちら、と見上げると、みーちゃんがふと呟くようにあたしに向き直って言った。
「うん。ありがとうみーちゃん。ママのこと待っててくれて」
あたしはぎゅっとみーちゃんを抱き締める。
「うん。やっぱりママがいた方が、ずっと楽しいし」
みーちゃんがにっこりして言う。それはまるで天使みたいな笑顔…っていうのは親バカかな。
「それにね、みーちゃん、何となくわかったの」
みーちゃんはちょっと声を潜めた。内緒話をするみたいに、イタズラな笑顔。
「何を?」
あたしはそんなみーちゃんの顔に誘われるように、腰を落としてみーちゃんの目線の高さに合わせる。
「パパね、今日、みーちゃんと二人の時、楽しそうな顔してたけど、一番じゃないの」
「えー?そんなことないでしょう」
あたしはびっくりして言った。
そうよ。入江くんはみーちゃんにすっごく甘い。そして優しい。みーちゃんといて一番の笑顔じゃないわけないじゃない!
でも、みーちゃんはううん、と首を振った。
「ママが来て、パパ、もっと嬉しそうになったんだよ。みーちゃんわかるんだ」
えー――?
「そんなこと……」
「ほら、二人とも。パレードのメインが来たぞ」
パレードそっちのけになっていたあたし達に、入江くんが声をかけた。
「わあっ、ミッキー!」
その声に振り返ったみーちゃんが歓声を上げている。その嬉しそうな満面の笑みを見てると、こっちまで幸せでいっぱいになる。
「二人でこそこそ何を話してたんだ?」
身を乗り出してパレードに見入るみーちゃんの後ろ姿を見ながら、入江くんがあたしに訊いた。
「えっ…べ、別にこそこそなんてしてないよ」
あたしはちょっとドキマギしながら答える。
みーちゃんがあんなこと言うから、何だか変に意識しちゃうよ。
でも、本当かなあ…
あたしがいると、入江くんは笑顔になるの…?
…あ。
入江くんが、そんなあたしの心の中を知ってか知らずか、あたしの顔を覗き込んできた。
「…今まで二人でこういう場所って、来なかったな」
「そ、そうだね」
入江くんの綺麗な瞳が、あたしをじっと見てる。
う…
何か、そんなに見つめられると、ホントにドキドキ止まらなくなるんですけど…!
「二人で来たかったとか、思ってる?」
あたしを見透かすような視線。
「…ううん」
でも、あたしは即答する。
「やっぱり、こうして3人で来るのが一番楽しいね」
そう。
今は、あたしがいて、入江くんがいて、そしてみーちゃんがいて…皆、大切な存在だから。
それに、こんなに目をキラキラさせてるみーちゃんが見られたんだもん。それだけで、今日ここに来れて良かったって思えるよ。
「そうだな。来てよかったな」
入江くんの視線が、みーちゃんに移っていく。
入江くんのみーちゃんを見るその目がとても温かくて。あたしもまた、温かい気持ちになる――
「…こうしてる、今は、さ」
不意に、入江くんがこちらに向き直って言った。
「お前は琴美の母親で、俺は父親だろ?」
「うん」
「出勤すれば、俺は医者で、お前はドジな看護師で」
「ちょっと!ドジな、は余計でしょ!」
「…だからさ」
入江くんが、微笑を浮かべる。
それは、とっても素敵な顔で、あたしはその視線に魅入られたように動けなくなる。
「今少しだけ、二人のデートっぽいことしようか」
「え……」
……不意に。
パレードの音楽も、周りの歓声も。
何も聞こえなくなる瞬間が訪れる。
みーちゃんがそばにいて、周りにだってたくさんの人がいて。
それでも、今は、お互いしか感じられない。
ただ感じるのは、柔らかい…そしてどことなく熱い、そんな唇の感触。
それは、入江くんだけがかけられる魔法。
ずっと前から知っている、でもいつもやっぱりドキドキする、そんな素敵な魔法――
どんなお姫様よりも、ずっとずっとあたしを幸せにしてくれる。
そんな、イタズラなkiss――
「ママー、ミッキーもう行っちゃった」
どれくらい経ったのか――
そんなみーちゃんの声が、あたしを現実の世界に引き戻した。
なんだか、顔が熱い気がする・・・
「あれ、ママ?どうしたの?」
みーちゃんがあたしを不思議そうに見上げている。
「何だか、いつもと違う…」
みーちゃんが首をかしげながらじいっと見つめてきて、あたしは内心焦ってしまう。
「ぱ、パレード終わっちゃったねー。あ、そーだみーちゃん、おばあちゃん達にお土産買っていこうよ!」
「うん!あ、あっちにお店あったよねっ」
途端にみーちゃんが笑顔になって、あたしの腕を引っ張った。
「そうだね!あ、入江くん今からみーちゃんとお土産見てくるけど、入江くんはここで待ってる?」
あたしは入江くんの方に振り返りながら訊いた。
「ああ、そうだな」
そう言うと、入江くんは
口の端を上げてあたしの耳許に唇を寄せた。
そして、囁く――とびきり甘い声で。
「帰って、琴美が眠ったら――俺の奥さんに戻れよな」
☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ☆ミ
結婚して子供ができて、そんな生活も幸せだけど。
やっぱりこの二人にはいつまでもラブラブでいてほしいな~と。
そう思って書きました♪
しかし、思いつきでばたばたっと書いたので、文章が荒い・・・
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